佐世保女子高生殺害事件の加害者の処遇を予想してみた
佐世保で、女子高生が知人を殺害したという事件がありました。
高校生による殺人事件というだけでも衝撃ですが、殺害に至る経緯や犯行の状況、女子高生の一家の問題など衆目を集めそうな事情が多いことから、連日のように多くの報道がなされています。
さて、最近は人に会うたびに「この事件の犯人ってどうなるの」と聞かれますので、自分の考えをここに書いておきます。
結論から言うと、医療少年院に入って何年かしたら社会に出てくるでしょう(なお、医療少年院は26歳未満まで)。
え?甘くないか??と思う方もいらっしゃるはずです。
しかし、神戸連続児童殺傷事件の犯人である「酒鬼薔薇聖斗」氏が1997年に医療少年院送致となり、2005年に出てきていることからすると、恐らく同じような処分になるのではと思うのです。
ちなみに、酒鬼薔薇事件というのは、14歳の少年が数人を殺傷し、「さあゲームの始まりです」とかいう手紙を被害者の生首にくわえさせて放置したといった事件でした。
なぜ刑務所に入らないか
少年だからです(なお、少年法では女子も少年と表記します)。
そして、事件には犯人の精神的な色々が関与していると思われる事件だからです。
少年だからなぜ刑務所に入らないでいいかという理論的な根拠は、前にも
の記事でちょっと触れたのですが、要は「可塑性」(かそせい)があるからということになっています。
可塑性って何?
ネットの辞書によると、「塑」というのは「土をこねたり削ったりして物の像を作る」という意味です。
「可塑」というと「思うように物の形をつくれる」という意味になる模様。平たくいうと「やり直せる」ということですが、聞くところによると、「一からやり直せる」のではなく、「0からやり直せる」という感じらしいです。
10代のころを思い出してみてください。
邪気眼とは言わないまでも恥ずかしい思い出の一つや二つはあるでしょう。
なんであんなことしたんだろう、今あの頃に戻ったら絶対あんなことしないのに、という気持ちになるはずです。
一方20代の思い出となると、バカなことしたなぁとは思っても、タイムスリップしたらまた同じことをするんだろうなという気持ちになるはずです。
こんな風に、10代のころは間違ったり恥ずかしいことをしていたのに、大人になると落ち着いてちゃんとした感じになるという経験はありませんか。
この辺りの感覚が、「可塑性」という考えにつながっているんじゃないかと思うのです。
だからといって少年院とは甘すぎる
こういった考えの方も多いでしょう。
もちろん、未成年者でも刑務所で罪を償なった方がいい場合だってあります。
そこで、稀にですが、家庭裁判所に送られたあと、やっぱり普通の裁判にした方がいいという話になれば、逆送といって大人と同じルートに復帰することもあります。
ただ、今回は複雑な家庭環境から犯人が精神的にどうにかなって事件を起こしたというようなストーリーになりそうなので、「贖罪」より「更生」に重きが置かれることになるものと思われます。
少年院に行って更生できるのか
法務省の担当者や現場の法務教官の方々に話を聞くと、彼らは少年院における矯正力にかなりの自信を持っています。
ということで、少年院に行くと一応矯正というか更生への道を歩むことができるということになっています。
ただ、個人的には少年院の教育だけで開眼して正しい道に進めるか、というとそうではないような気もします。
というかむしろ、その人の個性というか生まれつきのものについては教育では絶対治らないという意見の方が私は説得力があるように思えてならないのです。
しかし、どうしても可塑性というのであれば、刑務所的な無人島を作って、米でも育てながら集団生活の中で更生を図るといった処遇だとかを創設したらいい気がするのですが、いかがでしょう。
